スポンサーサイト

Posted by Shibuko on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by Shibuko 

やけどー黄色ブドウ球菌ー敗血症ー毒素性ショック症候群体験記 その7

Posted by Shibuko on 23.2013 未分類 0 comments 0 trackback
2012年11月におこったやけどー黄色ブドウ球菌ー敗血症ー毒素性ショック症候群についての続き(その7)です。
(だいぶ更新期間があいてしまって1年近くたってしまいました、すみません。)

NICUは病院でもかなりセキュリティのしっかりしたところにあります。
NICU病棟へは一般の人の立ち入りは禁止されていて、両親・保護者、祖父母のみが立ち入りを許可されています。
またNICUの中でも、実際に治療されているエリアには許可なしでは入れず病棟の入り口近くに小さな待合室と簡易宿泊室のような部屋がひとつ。

私たちは待合室に通されました。そして息子のNICUでの準備が整うまでしばらくここで待っているようにといわれました。着いたときは先着の親子が二組いました。
ここにいる親、親族はみんな少なからず生と死の境目の近くに子供がいる状況なので、みんなピリピリもしくはシンミリした状態にあるので、正直あまり居心地のいいところではありませんでした。

もし機会があれば後日触れようかと思いますが、アイルランドにはトラベラーと呼ばれる、ジプシーのような種族がいて、不幸にも1組がこの一家であったのです。
簡単にいうととても、田舎もので言葉使いもガラも悪くモラル・教育のレベルも低く常識が通用しない相手なのです。その一家が、自分の子供が命の危険にある常態で、いつも以上に人に対して攻撃的になっていたようで、待合室で待たされている間に実はこの一家とひと悶着あり、数日間、息子の病状の心配に加え、私たちは自分たちの身の安全性まで案じなければならない状況にありました。

1年近くたった今でもあまり思い出したくない話なので、機会があれば、ということでまた別途それについては触れたいと思います。

そんなわけで、蛇ににらまれた蛙のような落ちつかない大変居心地の悪い気分で、まだかまだかと準備が整うを待っていたのですが結局、待合室に通されてから私たちに声がかかったのは3時間後の午後8時でした。

憔悴しきっていた私たちですが、やっとこの厄介な家族から逃れられるということ、そして息子に会いにいけるということで、落ちていた気持ちも少し浮上しました。

迎えにきてくれた看護師は、NICUに入る手順をまず説明してくれました。

まず、手を洗うこと。NICUの入り口に洗面台があるのですが、そちらで消毒用石鹸を使って手を丁寧にあらいます。
それこそ、手の平、甲、指の間、爪の間すべてをしっかり時間をかけて洗います。
そして、滅菌された使い捨てのエプロンをかけ、準備が出来た段階で、ブザーを押すと中のスタッフが誰が誰を訪ねにきたのか確認し、扉を開けてくれます。

NICUの病床数は12床。個室が7部屋と、共同スペースに設置されたベッドが5台。
もちろん、個室のほうが緊急度が高く、専属の看護師が24時間体制で一人常駐し、それをサポートする看護師が1名つきます。
私たちが入ったときには、個室はほとんどがうまっていたように思います。
髄膜炎だったり、肺炎だったりとみなそれぞれの病状を抱えていました。

息子はNICUの奥にある個室の真ん中に入っていました。
その姿をみて、若干浮いてきていた気持ちがまた大きく沈み込みました。

『NICUに入って準備を整える』とは聞いていましたが、まさか、意識がなくベッドに横たわる息子に管がそんなに大量にもつけられているとは思わなかったのです。

CPRを確認するモニターベッドの右側に設置され、薬を投与する点滴管理用のモニターが左に。その中には水分を補給するIVのようなものも入っていたかと思いますが、とにかく衝撃的な姿でした。

私たちが茫然としている間担当の看護師は特にあわてた様子もなく、彼女は自己紹介を済ませると、現在の状況を詳しく説明してくれました。
彼女は今夜の当番で、明日の朝8時まで息子に付き添っていること、個室には直通の電話があり、何か心配なことがあれば24時間いつでも連絡をしていいこと、その際電話に出るのは担当である彼女であることなど、NICUの入院にあたって必要なことを教えてくれました。
そして、現在は抗生物質の投与を始めていて、それに加え、痛み止めと水分を点滴でいれているとのこと。
今後の処置についての説明は後ほど医師がくるので、そのときに医師から説明をするとのことだった。

一通り説明を聞き、息子の姿を確認するとあまり長居はできないので、その医師がくるのを待つために待合室に戻りました。

医師が来たのは夜10時近かったでしょうか・・・

医師の説明はこういうことでした。
現在、抗生物質の投与を始めている。黄色ブドウ球菌に感染していることを前提に治療をしているが、それが耐性かそうでないかの判別は今の段階ではできないので、耐性である可能性も入れて抗生物質は4種類、ペニシリン(メチシリンだったかも?)、バンコマイシン、フルクロキサシリン、クリンダマイシンを投与している。
また、この抗生物質がうまく作用すれば明日にはかなり良い方向へ向かうが、万が一の可能性として毒素性ショック症候群という症状がでる可能性がある。これは抗生物質によって体の中のウィルスは撃退されるが、そのあとに体の免疫機能が作用して自分を攻撃するという状況で、こうなってしまうと薬などでは対処できないのでできればそうならないことを期待したい。だが万が一、そうなった場合内臓機能が働かなくなることが予想され、呼吸器をいれるなどの処置を取る必要が出てくるかもしれないが、その状況に陥ってから呼吸器を入れる処置をしたのでは間に合わない可能性があるから、今の段階で呼吸器をつけておきたいとのことだった。
また現状で血圧が低いので、強めの昇圧剤を入れる必要があり、今後たくさんの薬の投与があるとそのうち血管が指す場所がなくなってしまう可能性があるので、首の太い血管にカテーテルを通してそこから投与をできるようにするとのこと。

つまり、万が一に備えて今の管だらけの体に加え、さらに呼吸器やらカテーテルが加わるということでした。
正直素人には、呼吸器を入れるといわれた段階で、なんだかもう助かる見込みがかなり少なくなっているのではないかとそんな風にしか考えられませんでした。
実際には、助かるために予防措置的に呼吸器を入れるということなのですが・・・

そしてその呼吸器を入れるのにはまたさらに2時間程度かかるが呼吸器を入れるのを待合室で待つかどうかと聞かれました。そうなると夜中の12時近くということになる。
さすがに、私たちも朝からずっと病院にいて、その前日もほとんど寝られていない上、これ以上管の増えた息子の姿は今の私たちには耐えられそうにない・・・ということで、この日は帰ることになりました。

病院で過ごした時間、14時間。家に着いたのが11時過ぎ。
家についてからは、夫の家族は寝ていましたので、その日のうちに状況などは説明しなかったのですが、私の家族にはメールだけでも入れておこうと思い、寝る前に簡単な状況説明を書いて送りました。
このとき、万が一にももし息子が命を落としたときに事後報告ではまずいだろうという気持ちがあったのが正直なところです。
事後報告になるよりは、ワンクッションあったほうがいいだろうという気持ちで、むこうに大変なことが起こっているという認識をもらって心の準備だけさせようというのが一番の理由でした。
ひどい親だと思われる方もいるかもしれませんが、本当にこのときは五分五分、もしくはそれ以下の勝率にたたされていたのです。
(実際には乳児でこの状況になると致死率が70%を超えるというデータをだしているところもあるようです。このときはそんなことを調べるのも拒否していたのですが。)
それから、寝る支度を済ませ、電話の子機と時計を枕元においてベッドに入りました。
ベッドに入ったときには深夜12時を回っていました。

私たちの長い長い1日がやっと終わろうとしていました。








関連記事


  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://keikobiyori.blog.fc2.com/tb.php/97-0263438d

プロフィール

Shibuko

Author:Shibuko
2011年に夫の仕事の都合で東京から渡米。
2012年にアメリカで出産。
ノースカロライナ、ボストン、そしてまたノースカロライナと東海岸を転々とし、1歳と3歳児の母親業のかたわら、キラキラした毎日を送ることをモットーにお料理、ものづくり、パーティーときどきアンティークなどを日々勉強中☆

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索フォーム

Visitors

Access Ranking

[ジャンルランキング]
日記
3968位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
主婦
473位
アクセスランキングを見る>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。