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Posted by Shibuko 

やけどー黄色ブドウ球菌ー敗血症ー毒素性ショック症候群体験記 その6

Posted by Shibuko on 06.2013 未分類 0 comments 0 trackback
11月におこったやけどー黄色ブドウ球菌ー敗血症ー毒素性ショック症候群についての続き(その6)です。

火曜日の午後1時。
息子が救急処置室にうつされ、モニターなどにどんどんつながれていきます。
本人はまだ調子が悪く、たまに吐く事もありましたが、ほとんどミルクも飲まなくなっていたためその量は減っていました。
それでも下痢のほうはまだまだひどく1時間おきくらいにオムツを替えていたような気がします。

看護師が手早くモニターをつなぎ終わるとブリジット医師が来て、私と夫に簡単に現状を説明してくれました。

彼女いわく、顔やおしり辺りの発赤をみる限り、黄色ブドウ球菌に感染している可能性が高いとのこと。
そして通常、黄色ブドウ球菌は抗生物質で処置をするが、黄色ブドウ球菌に感染するかを確実に判別するには血液検査しかないが、これで検査結果が出るまでには48時間かかる。
しかし治療は48時間も待っていたら手遅れになる可能性があるので、今から黄色ブドウ球菌に感染しているということを前提に抗生物質の投与を始めたほうがいいかが、抗生物質の不必要な投与には弊害もあるので、判断は現在他の医師とも慎重に検討している、とのことだった。
また、もし治療を始めるということが決まればできればNICU(新生児集中治療室)に入れてもっと手厚いケアのできる状態にしたいが、ベッドの空き状況もあるので、NICUのコンサルタントに相談中であると説明をした。

彼女はとても明るく気さくな女性だけれど、このときはとても丁寧に、言葉を選びながら話をしていた。
そしてその表情には今までよりもややくもり気味であったと思う。

私はこのときまで英語で黄色ブドウ球菌がなんと言うのか知らなかったので、実際彼女の話を聞いていた間は彼女がなんの話をしていたのか半分程度しかわからなかったと思う。
ただ彼女の表情からなにやらかなり深刻なのだろうということを察しただけで。

すると夫が、日本語で彼女の説明を繰り返してくれた。
「黄色ブドウ球菌・・・」中学や高校の理科の授業で聞いたことはあるけれど、いったいどんな病気なのか、私にはさっぱりわからなかった。
けれど、大学で生物工学を専攻し細菌の研究などをしていた夫は話にかなりピンときたらしく、私が考え込んでいた間に、色々な質問をブリジットに投げかけている。

困った・・・。何かよくわからないけれど、かなり深刻らしいのだ・・・。

ひとまず、簡単に現状の説明を終えたブリジット医師は立ち去り、残された私たち夫婦は「どうやら明日帰国するのは無理そうだね。」と顔を見合わせた。
そして息子の手を握りしめ、「大変なことになったけど頑張ってね。強い子だもんね。」といって頭をなでてあげた。

ちなみに息子が寝ているベッドは大人の病院のベッドとほぼ同じようなものでいつも寝ているベビーベッドとは違い周囲が完全に柵になっているわけではない。
サイドの柵は手動であげられるような簡易的なものだし高さもほとんどないので、身動きがとれる息子は目を離すと落ちてしまう可能性があるので、私たちはほぼベッドのまわりに1日中張り付いていた。
息子が寝ている間は寝返りさえうたなければ、多少距離をおいても大丈夫だがそれでもどちらか一人が1メートルくらいのところでずっと目をやっていた。

息子が起きている間はほとんど泣いてぐずるのでどちらかが抱っこしたり、ベッドになんとか寝かせて手を握ったりと、ただ座っているわけにもいかず、体力的には意外ときついものでしたが、夫婦で交代しながら付き添っていました。
救急処置室のカーテン仕切った向こう側には、9歳の女の子が後から運ばれてきましたが、何かの吸引機のような音が「ゴボッゴボ、イィィィィーン、ゲフ、ゴボゴボ。・・・」とあまり聞きたくない音が漏れていて心もあまり休まりませんでした。

不安な気持ちと疲れた体、そんな状態で病院に来てから7時間が過ぎました。
紅茶のお姉さんが何度か来てくれましたが、もう病院についてから紅茶は5~6杯飲んでるし、トーストも10枚は食べている。
最初は、朝ごはん食べなかったからラッキーと思っていましたが、もうここまで来ると正直あまりありがたくもなく、お姉さんにはその度に丁寧にお断りしました。

すると、ブリジットが何名か医師を連れて戻ってきました。
この日、朝から代わる代わる医師が様子を見に来たが、この時ほど深刻な様相の、しかもかなり病院でもえらいであろう医師や看護師たちがこれだけの人数集まったことはなかった。

おそらく医師だけで5~6名いた気がする。
ブリジッドがまじめな状況で息子の状況を他の医師たちに説明している。
さすがにこれほどの人数が息子の様子を見に来ると、それまでずっとベッドサイドにいた私たちもその場から離れるしかなかった。

離れるといってもおそらく3メートルも離れていなかったであろうが、私はそのとき急に事態の深刻さを実感し、涙が頬を伝った。
夫の手を握り締め、もたれかかって息子を離れて見つめることしかできなかった。

この時点で息子は、かなりぐったりしていて回りに見知らぬ大人が10人近くも囲んで見下ろしているにもかかわらず、起きているのか寝ているのかわからない様子でほとんど反応もしなかった。

このとき私は初めて「息子をつれて一緒にアメリカに帰ることはできないかもしれない。」「幼いわが子を9ヶ月という命でなくしてしまうかもしれない。」という現実に直面した。

茫然とした。

正直、このときほど恐怖というか、何かを失うことを恐れた瞬間はない。
本当に生死の境目の入り口にたたされているようだった-それも自分ではなく最愛の息子の。

医師たちが周囲にいた時間はほんの数分のことだっただろうが、半年たった今思い出しても鮮明によみがえってくる。あれほど恐ろしい瞬間はなかった。そして、数日前にやけどをさせてしまったことが心のそこから悔やまれた。
ほんの5秒のことだったのに!なんで、なんで目を離したりしたんだろう!と。

数分して、医師たちがディスカッションを終え立ち去り、すぐあとにブリジットが戻ってきて説明をしてくれた。
NICUに入れることになったので、今ベッドの用意をしているところ。
NICUに入るまではまだしばらくかかるかもしれないので、それまではここで待っているとように、とのこと。

また、NICUにどうしても入れたかった理由は、黄色ブドウ球菌の治療を抗生物質でするが、そのあとに確率は低いが毒素性ショック症候群という状況に陥る患者がいて、その状況になってから対応を始めると治療が手遅れになる可能性が高いから、万が一の状況に備えて万全の状態にしておきたい。
でも、現段階では抗生物質がうまく効いてくれて快方にむかってくれることを期待したいのだけど、と言っていた。

黄色ブドウ球菌に毒素性ショック症候群・・・。
夫が一生懸命説明してくれたにもかかわらず私にはさっぱり意味がわからないけれど、とりあえず現段階での目標は毒素性ショック症候群という状況に陥らないように祈る、ということだけがわかった。

そして医師や看護師がいなくなると、夫が泣き始めた。
「こんなことになるなんて。」
夫は、ふだんあまり泣かないがときにとても感情的になることがある。このときは特にそうだった。
専門知識があるだけに事態の深刻さを私以上に痛感していて、私と同じような、もしくはそれ以上の恐怖感を抱いていたに違いない。
それに加え、夫は前日の夜に息子の面倒をみていたためほとんど一睡もしていないに近い。
そんな極限状況にあってか、信じられないくらいに大粒の涙をポロポロこぼしていた。
私はそんな夫の手を握り締めた。そして何も言わず夫の言葉を聞いていた。
夫はそんな私をみて「なんで泣かないでいられるの?」と聞いた。
私は「私には今泣く権利はない。今一番つらい思いをしていて、一番力強く闘ってるのは息子ちゃんだ。私がつらい思いをしているんじゃないのに、泣く権利はないし、一生懸命闘っている息子ちゃんをサポートする私が強くいなくちゃ、息子ちゃんがつらいよ~って言ってママを見たときにガンバれないじゃないか。」といった。
夫は私の心境を理解したようだった。

夫と私はまったく別の性格だ。
私は思っていることを心の中に秘めて静かに吸収するタイプ、夫は全部外に向かって発信して発散させるタイプ。
これが私たち夫婦にとってはいいバランスだと思っている。
どっちも感情的だったらぶつかりあうだろうし、どっちも冷静すぎたらお互いが離れていってしまうかもしれない。この時はどっちも感情的だったら、二人でパニックに陥っていたかもしれないし、無言でいたら二人で落ち込んでいたかもしれない。
夫婦であってもひとはひと。お互い違った感情表現がある。
私は泣いて悲しんだ夫を男のくせに頼りないとは思わないし、夫も涙も流さずにいる私を冷徹な人間などと思ったりしない。
私は「好きなだけ泣いていんだよ」といって、夫は「君は強くてたのもしいね」と言った。
お互いにこんな風にバランスがとれて良かったね、とベッドで横になっている息子をはさんで笑いあった。

高校のときの音楽の教師が言っていたが、泣くことはストレスを発散させる最良の方法だそうだ。
夫は涙を流したことで、睡眠不足からくる情緒不安定もわりとスッキリし頭の整理もついたようだった。
「何があっても二人で手をとりあい、息子ちゃんの力になろう」そう誓い合った。

結局、NICUに入れてもらえたのは午後5時のことだった。
息子がベッドに乗せられたまま、看護師らに付き添われ先に処置室をでた。
私たちは別のスタッフに付き添われ、息子の後を追った。

病院についてから9時間が経過していた。
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プロフィール

Shibuko

Author:Shibuko
2011年に夫の仕事の都合で東京から渡米。
2012年にアメリカで出産。
ノースカロライナ、ボストン、そしてまたノースカロライナと東海岸を転々とし、1歳と3歳児の母親業のかたわら、キラキラした毎日を送ることをモットーにお料理、ものづくり、パーティーときどきアンティークなどを日々勉強中☆

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